競走馬の馬名に【ミノル】という馬名が二頭います。一頭はイギリスダービーを勝ったミノル。もう一頭は1968年の朝日杯を勝ち、日本ダービーでも二着したミノル。
 そのミノルの主戦を勤めたのが、日本競馬にモンキー乗りを伝えた名手、保田隆芳。保田は尾形藤吉厩舎に所属し、ダービー馬ハクチカラで海外遠征をするなど現代競馬の基点となる大仕事を経験していました。
 
 保田とミノルとの出会いは、初戦の函館でのオープン戦。ここを2着のインターミドリに3馬身の差を広げて圧勝するが、その後の四戦はパッとしない内容が続き五戦目のもみじ賞でやっと二勝目を上げた。
 そして重馬場で行われた朝日杯3歳Sでは、2着のショウゲッコウに5馬身もの差をつけて圧勝し、啓衆社賞最優秀3歳牡馬を受賞した。
 
 ミノルは、父親が名種牡馬ヒンドスタン、母父がナスルーラ系を代表するグレイソヴリンと、スピード、スタミナ共に卓越した遺伝能力を持つ血統背景にある。この血統背景や、朝日杯の勝ちっぷりからも、誰もがこの馬が来年のダービーを勝つと思わせた。
 乗り役の保田も、本来はこの年で引退を決意していた。しかし、ミノルとの出会いで保田は「この馬ならダービーを取れる」と豪語し、引退を見送ったほどだ。
 しかし、迎えた翌年の初戦、京成杯では、野平祐二が手綱を取る伏兵ギャロップに0.3秒もの差をつけられての3着と敗れた。次走の東京4歳Sこそ6馬身差の圧勝だったが、続く弥生賞ではもう一頭のヒンドスタン産駒ワイルドモアの2着に甘んじた。
 巻き返しを狙ってのスプリングS、皐月賞でも同じワイルドモアの4着とイマイチ勝ちきれない。
 
 不安を残して迎えた日本ダービー。馬場は不良。皐月賞馬ワイルドモアは回避。混戦模様のこの年のダービーの一番人気に推されたのは皐月賞3着のタカツバキ。続く二番人気に皐月賞2着のギャロップ、ミノルは三番人気だった。
 レースを作ったのは同じ尾形藤吉厩舎、森安重勝鞍乗のハクエイホウ。4戦中3戦が持ち前の卓越したスピードで他馬に影も踏ませずの圧勝。勝ったレース全て保田が手綱を握っていた。
 発走直後、落馬した馬がいた。一番人気のタカツバキ、落馬。場内が騒然とする。
 最後の直線、先行した馬が馬軍に沈む中、ハクエイホウが粘る。森安の豪腕が唸る。一頭、猛然と食い下がる馬がいた。保田とミノルだ。ジリジリとミノルが差を詰める。そしてもう一頭、食い下がる馬がいた。ダイシンボルガードと大崎昭一。前々走の皐月賞で14着、前走のNHK杯では4着と、このダービーでは伏兵という存在でしかなかった。
 三頭のデットヒートが始まる。森安の根性か、大崎の悲願か、保田の決心か・・・。
 軍配はダイシンボルガードと大崎にあがった。クビ差二着にミノル、半馬身差ハクエイホウだった。勝ったダイシンボルガードの厩務員は、あまりの興奮で馬場へ入り「勝ったぞ!勝ったぞ!」と何度も叫んだ。馬と人間との絆の深さがしみじみと伝わって来るような光景だ。
 
 二着と敗れたミノルは、最後の一冠となる菊花賞へ向かった。しかし、ここでは相手が悪かった。元祖上がり馬ことアカネテンリュウの17着。距離もこの馬にとって長すぎたようだ。
 その後ミノルは目立った成績を残すことなく、26戦7勝という成績を残してターフを去った。
 名手、保田隆芳の心を動かしたこの馬は、希望、そして信頼という言葉を我々に教えてくれたのではないだろうか。

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